Quand on a 17 ans / Being 17 / 17歳にもなると ~暴力・性・自立


子どもが大人になるときを描いた物語。シンプルなタイトルがわかりやすくてインパクトあっていい。ちょうど観終わった後に読んだ『いじめと不登校』(河合隼雄)にこの映画を説明するのによい話が出てきた。

自立することと性的なことは案外一緒に起こります。
河合隼雄 『いじめと不登校』 新潮社 2009年

どうして、トマ(Corentin Fila)とダミアン(Kacey Mottet Klein)は殴り合いの喧嘩をしたのか。嫌いなやつが気になるやつに……って話じゃない。どうしようもない思春期の爆発を暴力で処理していたって方がしっくりくる。だってダミアンがトマにどうして最初突っかかってきたのかを確認したときに、トマはダミアンのことが気になっていたと言っていた。しかもそれはダミアンがちらちらこっちを見てくるからっていうので、ダミアンはもっと前からトマが気になっていた。うまく口では言えなくて、暴力によるコミュニケーションしかできなかったところから、互いを理解し、自分を見つめ、受け入れて、覚悟を決めて、自立の一歩を踏み出す。忙しい家族のおかげで?子どもたちが自分たちで解決できる時間と場所を持てたのがよかったのかな。暴力はだめだというのが普通の見方だけど、命があるなら成長にとってよい方法だったのかもしれない。

They just can’t seem to communicate verbally, so they communicate via violence. Nothing is actually being communicated in that way, but they also can’t be prevented from engaging in this violence.
Being Téchiné: Five Decades Into a Great Career, the Auteur Opens Up | VILLAGE VOICE

この映画がゲイの青春映画って枠以上に広く観られることができると思う理由のひとつに、家族を描いた物語だからってのがある。それが2家族分もある。かなりの情報量なんだけど、肝心の子どもたちについては説明が少ないと感じた。ダミアンのあのダサいピアスだって、時々色が違うのはそういう石だからなの?とか、思い入れ強そうだけど何で?ってのはわからず。ダミアンの母(Sandrine Kiberlain)が夫と離れて寂しさから?トマに欲情するってのは知り得たのに。監督のAndré Téchinéだけでなく、Céline Sciamma(『水の中のつぼみ』『トムボーイ』)が脚本に加わっていることが、この複雑な物語のもとなのだろうか?

好きな場面は、トマに断られた後、ダミアンが出会い系を試して、その理由をトマじゃないといけないのかを知りたかったからってトマに伝えるところ。ダミアンのかわいい部分が特に出ていたと思う。ダミアンは軍人と医者という文化的に高い両親に大切に育てられて、反抗期はもう終わってるっぽくて、自己受容がだいぶできてるから落ち着いてるけど、一人っ子っぽい幼さがあって、ケイシー・モッテ=クラインのひょろっとしたねずみ系の見た目も相まってかわいい男の子。好きっていうのを素直にぶつけられる強さを持っている。対してトマは山奥の酪農家で養子として育ったという環境から、孤立していて、自信が持てない。ランチもシャワールームで隠れて食べる。自然の中にひとりでいるときだけ自分らしくいられる。コランタン・フィラは自信のないのが嘘だと思うくらい美形。このまま家族の話って感じで終わっていくのかなと思っていたら、最後ハッピーエンドでよかった。


ダミアンの部屋は自分のセクシャリティに自覚あるなってポスターで飾られていた。

Being 17
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