Anthem / アンセム ~自我と我々


こんなことを書くのは罪だ。他の誰も考えないようなことを考え、誰の目にふれることもない紙にそれを書いたりするなんて、罪だ。卑しく邪悪なことなのだ。これでは、まるで自分たち以外の誰の耳でもなく、自分たちだけに語りかけるようなものじゃないか。だから、我々にはよくわかる。ひとりで何事かをしたり、考えたりするほど汚れた罪はないということを。我々は、法をいっぱい犯した。法律は、こう定めている。<天職協議会(カウンシル)>が命じなければ、人はものなど書いてはいけないと。ああ、罪深い我々をお赦し下さい!
『アンセム』(1946年版:初版1938年) アイン・ランド作/藤森かよこ訳
http://www.aynrand2001japan.com/index1.html

ジョージ・オーウェルの『1984年』を読んで感銘を受けて調べているときに、この作品がネタのひとつであったのではないか?というのを見て読んでみたくなった。上のウェブサイトで全訳が読める。ありがたい。書き出しの主人公の境遇は、『1984年』と近いものを感じる。管理され、監視される社会。

『1984年』はくたびれた中年が主人公だったので、私的には『アンセム』の主人公の方が興味ある。主人公の年齢的には、ロイス・ローリーの『ザ・ギバー 記憶を伝える者』の方が近い。
社会のシステムも似てる。
  • 幼きひとの館:~5歳
  • 学びびとの館:5歳~15歳
  • 天職協議会:15歳に達した人間に、生涯従事することになる仕事が何であるかを宣言するもの
  • 無用なる人たちの館:40歳~

でも、『アンセム』の世界は、ろうそくの灯りだったり、写本だったりというような文明は捨て去られ、過去へ戻った世界が舞台。

ひとりでいること、孤独は大きな犯罪なので、ひとりで何かをしたり、考えたりすることも罪となる。また、背が高かったり、賢かったり他の人と違いすぎることでも罪となる。
「我々は、みんなでひとり、ひとりでみんな。
偉大なる我々だけが存在し、他には誰もいない。
分かつ事のできない永遠なるひとり」
また、「何かをより好むという大きな罪」もある。それはすべての人間を愛すという理念なのだが、主人公は、それを守れない。

主人公は探究心にあふれ、罪だと感じながらも、行動に移していく。その根源に、「自分自身を誇りに思う」という意識が作用していたと思う。「みんなでひとり、ひとりでみんな」の考えに染まった人では、自分で何かしてみよう、という行動力に結びつき難いと思う。ちょっと怖いけどやってみようというとき、「自分自身を誇りに思う」というのは勇気の力になってくれる。

この社会に疑問を持ちつつ、でも学べないから自力でもんもんとしていた主人公は、「人間とは?」という深い疑問を旅を通して突き詰めていく。小さく言えばアイデンティティを求める旅でもある。全体の中から、自分という個を自分自身の目と、外からの目で発見し、それを結びつけて取り入れる作業。また、それは生きがい探しでもあると思った。

彼のした発見は、自分が自分のために自分の人生を生きること。それが人間に与えられた権利。自分の自由を守るとき、他人の自由も守る。“我々”という言葉の恐ろしさ。

“みんな一緒”というのは平等で平和なことだと思う。だけど、それを突き詰めて、“個”を極限まで犠牲にしてしまったとしたら、それは人間が人間らしく生きられる社会と言えるのだろうか?子どもが好奇心をもって、探求していくのを罪だとする社会の話を読んで、それは同意できないなと思った。

ランドは理性を知識を得る唯一の手段として擁護し、信仰や宗教を拒絶した。合理的かつ倫理的なエゴイズムを支持し、倫理的利他主義を拒絶した。政治においてはInitiation of Force(自分の側からの強制力の行使)を非難し、集産主義および国家主義に反対した。また無政府主義にも反対した。最小国家主義および自由放任資本主義を、個人の権利を守る唯一の社会システムと信じ、支持した。(wiki
彼女の主義について、もっと知識を深めたいと思った。あと、ギリシア神話も。

もし映像化するならってのも考えていたけど、なかなかこれ!という人が浮かばない。時を選ばないなら、若い頃のレオナルド・ディカプリオかな?ということは、金色の人はクレア・デインズで、『ロミオ+ジュリエット』はやっぱり最高だったという話になる。違うか。


主人公:平等7の2521号
21歳
183cm
美しい顔と体

女:自由5の3000号
まっすぐな体
細い
褐色の瞳
太陽のような金色の髪

仕事仲間:団結5の3992号
顔色が悪い
頭は鈍い
病気がち
よく発作を起こす

仕事仲間(友だち):国際4の8818号
長身
屈強
瞳がホタルのように光る
瞳に笑いがあふれる
絵を描く

Vi är bäst! / We Are the Best! / ウィ・アー・ザ・ベスト! ~3人いると社会が出来る

We Are the Best

1980年代のスウェーデンの首都ストックホルムが舞台。「パンクは死んだ」と言われる時代の中で13歳のボボ(Mira Barkhammar)とクラーラ(Mira Grosin)は熱心なパンクリスナー。クラーラはモヒカンで、ボボも髪をばっさり切った。ピンクの服にピンクのメイク、金髪をふわふわさせた同級生たちはThe Human Leagueの「Don't You Want Me」でエアロビダンスをしてるのとの対比がおもしろかった。体育もできなくて、「協調性が持てないなら走ってろ」って先生に言われてしぶしぶ走る(歩く)2人。パンクのような音楽好きな子はそうだよなとういうのはヨーロッパでも同じよう。そこで2人が「あの体育教師ムカつく」ってとこから曲をつくろうってなって、パンクバンド活動が進んでいく。

そもそも、クラーラが「メルトダウンするのに原発をどんどんつくってどうするの」って話をしているような子で、13歳でどうしたらそういう子になるの?ってのは、クラーラの場合、たぶん親や兄の影響があるんだろうけど(兄はパンクからJoy Divisionとか聴く人になったからクラーラ的にはダメだそう)、仲良しのクラーラの影響は大きいとして一人っ子で親ともあまり交流がないボボはどうして?って思った。その答えは、涙をこらえてベッドでひとり大音量でパンクを聴くボボの姿を見て納得できた。それまでも、学校ではみ出し者の彼女たちの心情を代弁するかのようにパンクがBGMに流れていたことで、こういう歌詞に共感する子たちなんだなってのがわかった。けど、あの孤独感はもっと個人的なもので、ボボはクラーラとも共有できないことをパンクを聴くことで癒されていたのかなと思った。


ボボとクラーラの家は対照的で、電話で話している2人がお互いに「あなたの家のがいいよ」って言っているくらい。ボボの家は、父親はほとんど家にいなくて、母親はパーティ好きですぐに彼氏をつくって、その不安定さをボボが気にしないといけない感じ。クラーラの両親は小さなことでよく喧嘩するけど、お父さんがズボンもはかずに娘の部屋に入ってきたり、弟の髪をクラーラが切ったり、お兄ちゃんが家で開いたパーティにもぐりこんだり、なんだかんだで仲よさそう。

2人は勢いでバンドやろうってなったけど、楽器は全く弾けない。ひっくり返したお鍋とバドミントンのラケットでの演奏が様になるレベル?そこで目をつけたのが、学校の発表会に毎年出てるクラシックギター奏者のヘドヴィグ(Liv LeMoyne)。どんなにひどい野次が飛んできてもめげないところにガッツを感じたのと、いつもひとりでランチしているところに仲間意識を感じたからだった。

ボボが自分の価値なんてないってへこんだときも、クラーラが「あなたには私がいるじゃない」となぐさめるくらい、2人はお互いがなくてはならない存在で、大切な友だちだったのはわかる。そこへヘドヴィグが入ってきてバンド活動も軌道にのってきて、それまでの2人だけの世界が少しずつ変わっていく。ボボは「クラーラばっかりずるい」って思うようになったし、クラーラはそんなボボの気持ちを読み取れない。どっちも、それまではお互いしかいなかったから遠慮や配慮を超えた関係だったんだろうけど、そして幼くてまだ世界も狭かったから。でも、13歳になって、いろいろやってみたいことも増えて、世界が少し広がって、自分が大切って気持ちが芽生えてきたんだろう。そこで2人をつなぐのがヘドヴィグ。ヘドヴィグはずっとひとりだったから、3人で何かすることがきっと全部楽しかったんだと思う。そして、2人よりちょっと大人だからもう少し広い視野で世界が見られる。兄弟なんかで「3人いると社会が出来る」というのを聞いたことがある。自分と相手の対の関係から、三角形になったとき、うまくいかなくなることもあるけど、より複雑でそれが強みになることもあるんじゃないかな。「三本の矢」みたいな。それで、バラバラになりかけた2人をヘドヴィグがつないで「We Are the Best!」ってなる。「誰に何を言われても関係ない、私たちが私たちを最高と思ってればいいの」って、この若さで言われたら敵わない。

だからエンドロールのおふざけはちょっと蛇足だったな…パンクのダサい部分出しちゃった気がした。それまですごく反社会の気質を持ちつつも、何か言ってることわかるね、みたいな感じでおもしろかったから残念。

We Are the Best

真ん中のクラーラ役のミーラ・グロシーンが、大きい目に丸い顔、ハスキー声でちょっとエマ・ストーンみたいに見えて、もしエマ・ストーンが小さいときから活躍していたらこんな感じだったのかなと想像してた。

スウェーデンの女の子3人組つながり
Pojkarna / Girls Lost / ガールズ・ロスト ~体と心の性
こっちは都会でも郊外でもなくもうほとんど森の田舎
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